qualiadiversity’s diary

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その辺で遊んでろっ!

2月FAJ関西支部の定例会は2テーマ。

「おめーら基本がなってない!」
「その辺で遊んでろ!」
なんとも、上から目線のタイトル。
思わず「へへええっい。お許しください。お代官様!」ってふれ伏しそうになっちゃいました。(苦笑)

基本の出来ていない私は、当然「ロジカルでしょ」。と直前まで思っていたのですが・・
Mさんのホンットーに!何にも準備してなさそうな前振りに、とっても不安になり・・
突然、「この不安こそが、Fには重要なのだわ!」と、なぜか・・勝手に体が動いてしまいました。

「何でみんなここにいるの?」という問いかけに
「遊びをせんとやうまれけむ、戯れせんとやうまれけん」と梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の言葉が飛び出して
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%A1%B5%E7%A7%98%E6%8A%84

「ほうほう、これは哲学カフェチックな展開になるのかしらん」と思っていると、いきなり子どもの頃夢中になった遊びを話し合うことに。

何が面白かったのか、なぜ面白かったのかということをきっかけに、「遊び」について人それぞれの思いがあることを共有。その後、またまた突然「しりとりをしましょう」ということで、しりとり遊びをした後、自分達で「しりとり」を題材に遊びを創り、それを実践。その後は全員でサークルになり振り返り。
(このあたり、見事に設計していないのに、なんとなくゆるゆるとみんなが受容し合意していく様が面白かった)

「みんなでやる遊び、一人でやる遊び」「勇気を試す」「好奇心を満たす」「達成感」「遊びと趣味は違う?」「遊びは非日常」等々。
一言で「遊び」と言ってもその奥はなかなか深いなあ。

私が、「遊び」と聞いて思い出すのは、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)』。ブログにも何度か取り上げていますが、私のお気に入りの一冊です。

松岡清剛さんも千夜千冊で『ホモ・ルーデンス』を取り上げています。

セイゴウさんの引用されているところでは、        
・遊びは、文化よりも古い
・遊びのおもしろさは、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない
・ありあまる生命力の過剰をどこかに放出するもの、それが遊びであった
・遊びは何かのイメージを心のなかで操ることに始まっている
・なんらかの時間的制約や空間的制約を受ければうけるほど、遊びらしさを発揮するものなのだ。
・遊びには「緊張、平衡、安定、交代、対照、変化、結合、分離、解決」などがある

なんて言うのがありました。この部分だけを見ても、ホイジンガの言っていることは、昨日みんなで話し合った内容ととても重なっているように感じました。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0772.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E3%81%B3

そういえば、以前Mさんが遊びの4要素として、競争・偶然・模倣・めまいがあるっていってたけど、これはホイジンガに影響を受けたロジェ・カイヨワの「遊びと人間」に出てきてたんだ。

本当にファシリテーションのファの字も出てこないWSでしたが、「遊び」大好きな私は、
いろいろ思考が深まり、とっても楽しい1日でした。